先週末、友人2人と一緒に亡き友人のお墓参りに行きました。
その帰りに新しく出来たカフェに行ってお茶しました。
話は変わりますが、先週お遍路に行ってきて、感じた事があります。
行く前から感じていたのですが、行って確信しました。
それは、私の中にも仏がいるのではないか?
というか、もともと仏様(もしかしたら神さま)であったのではないか?
というか、、仏様の分身、ほんのひとかけらから人間になったのではないか?
という大それた考えです。
その理由は、お寺に行くと懐かしい感じがするのです。
なんとなく、ではなくて強烈に懐かしく感じるのです。お寺によって強弱はありますが…。
少し泣いてしまうのです。
歩き続けて苦しくてホッとして涙が出るのかと思っていましたが、どうも違います。
私の中のほんのひとかけの仏部分が、お寺で共鳴するのではと思いました。
神社でもたまにあるので、もしかしたら「私の真の部分」の言う方がピッタリかもしれません。
ここでは「仏部分」と呼ぶことにします。
それで、お遍路中に思ったのですが、「仏部分」を労るべきだと思い始めました。
この「仏部分」を労る行動を優先させると、心がざわつく事はしなくなります。
そこで、さっきの友人とカフェに行った話に戻ります。
友人とは本当に楽しい1日を過ごしました。
カフェでの話も久しぶりで本当に楽しかったです。
私は、10月〜11月に誘われた集まりが5個ありました。
お遍路の週もありましたから、全部行っていたら土日がハードになります。
その5個の集まりのうち、実際に行ったのは今回のお墓参りだけです。
それ以外は全て断りました。
行ったほうがいいかな?という付き合いを全て断ったのです。
なぜなら、付き合いで無理して行くと心がざわつく事がわかっていました。
私の中の仏様部分を労るのなら、心から笑えるホッとすることだけを楽しみたい、思ったのです。
この考えは、自分本位というのかもしれません。
ですので、皆さまにはおすすめしません。
私はそうし始めたという話です。
亡き友人の思い出の色のお花。
友人達と楽しんだスィーツ。