今日は複雑な心の反応について書きます。
先日、成田山新勝寺の記事を書きました。
そして、私が色々な面で尊敬する人がほぼ同時期に成田山新勝寺の記事を書きました。
このような場合、どういう感情が起こると思いますか?
想像してみてください。
普通はこうです。
「尊敬するあの人が私と同じ時に同じ記事を書いた。
シンクロだ!
今、やっぱり成田山新勝寺なんだ!
なんか嬉しいな。」
しかし、実際の私にどのような感情が湧き起こったでしょうか?
それは、
「あの人の記事は見たくない」
という感情がまず沸き起こりました。
なぜでしょう?
尊敬するその人は尊敬するだけでなく大好きなのです。
なのになぜ?
考えられる事を羅列します。
多分私よりいい記事だからなんか嫌。
私の方が新勝寺には多く行っているのに…。
私の記事は読者が少なくほとんど読まれないので悔しい。
うーん…。
全部違う気がする。
うまく言葉にはできないですね。
それで結局その人の記事を読んだのですが、
とても良い記事でした。
私が知らない事も書いてあり、読んでいてワクワクしました。
読み終わって改めて、なんで否定的な感情になったのか、内観しました。
この時、昨日読んだ小説が突如思い出されました。
それは、森絵都の「カラフル」です。
この中で、人には色々な面があり、
それは明るい綺麗な色だったり、
地味な色だったり、
沈んだ暗い色だったり
全部持っていて「カラフル」なんだというところがありました。
(実際の小説は本当に面白いので是非読んでください)
この本を思い出した事で、何かわかって来ました。
私の感情は
憧れ、尊敬、好意、という明るい感情だけでなく、
妬み、嫉妬、卑下、という暗い感情もあるのです。
人間だから、色んな感情があります。
お大師さんも言っています。
人間として生まれた時から否定的な感情はもれなく付いてくる。
それをどう昇華させるかが大切である。
私は今回、すぐに否定的感情を昇華しました。
それは、その人の記事をすぐに読んだ事です。
そして、やっぱりすごいな〜
いいな〜。私もこのような参拝がしたいな。
やっぱり新勝寺はすごいのよ。
この人も言っているんだから間違いない。
また行きたいな〜
と、肯定的な感情が自然に湧いた事です。
無理にそう思ったのではありません。
そもそもその人の事は大好きなので、本来同調するのです。
最初に起こった否定的感情に囚われて、ずっとその感情を持っていたら…。
怖いですね。
さっと次の行動が出来るかどうかが、分かれ目のような気がします。